嵐〜テンペスト〜 後編
「で」
と、無感動な第一声。
「またトマトなの」
「ごめんなさい…」
明くる日。
結局、雲雀のまえで引きつっている綱吉がいたりする。
またと云われてしまっても、他に持ってこられるものがないのだ。
綱吉の小遣いではろくな品が買えない。果物籠の高さには卒倒しそうになった。
試しに薔薇の花束をたしかめ、獄寺に日本の学生の金銭感覚を教える必要があると知った。
今までなにげなく受けとっていた贈り物については想像をやめる。
かと云って、予算内で雲雀の喜ぶ見舞いは想像つかず…昨日拒まれなかった物に落ち着いた。が。
「あ」
いちばん重要なことは確かめてなかった。
「ひょっとして、トマト嫌いでした? これは甘くっておいしかったんですけど…」
口にもしないほど、苦手なら。
「べつに」
「じゃあ、良かった…です」
安堵にゆるゆると笑んだ綱吉を、雲雀がじっと眺めている。
昨日からなんだかよく見られるような。
精神的にはバック走しながら、綱吉は顎を引いて踏みとどまった。
ビジュアル的に、黒いパジャマで助かった。
これが白いユカタなんかだったら、きっと変なイメージとごっちゃになって夢に出る。
廻ったり巡ったり画面から這いだしたり逆さまに下がってたりするようなやつと。(ぜんぶ映画!)
うう、やめやめ。ホラーは洋物より和製のが苦手………脅えるわりには頭の中に余力が残るのが綱吉であった。
「――あのー」
注意をそらそうと口を開いたのと、ぽつりと呟かれたのは同じタイミング。
「…でも足りないかな」
「うひいっ?」
なぜか変な叫びが出てしまった。
声を乗せての雲雀の凝視はそれくらいコワかった。
食われるかと思った、と、それはあながち外れてもなく―――
先日と同じようにひとつ取りあげ、雲雀は綱吉に差し出す。
「剥いて」
「は…」
「果物ナイフ、引き出しの中だよ」
「はあ…」
近ごろすっかり良かった探しが癖になった綱吉は考える。
この状況にいるのが、今現在の自分で良かったと。
ビアンキ先生に師事(縛られて脅されて強制されるのをそう呼べるなら)する前なら、ナイフの持ち方も
判らなかったからだ。
当然部屋の主のご命令にも第一歩でつまずいて、きっと不興をかっただろう。
というか、その前ならこの人のまえでトマトの皮剥くことじたい有りえなかったんだけどね、と遠い目に
なりかけるのを留まった。良かった探し良かった探し…。
雪のように白いシーツと、黒炭の髪と瞳。真っ赤なトマト。
白雪姫とかいう単語が頭をよぎって綱吉は真っ青になる。
こんな白雪姫なら、小人は奴隷だ。
沢田家でチビたちが観てた。テレビでやってたCGアニメ。蟻たちがバッタだかイナゴだかの集団と戦う
ストーリーがあって。
結局は虫の天敵である鳥の前に誘きだして食べちゃってもらう、鳥が最強ってオチの映画だ。(と思う。)
ヒバリさんっぽいーと蟻の知恵に共感を、イナゴ(?)の立場に同情を覚えた気がする。
思い返せばそれだって童話ちっくじゃないかい? 鳥のビジュアルも可愛かった。
可愛らしいはずの苗字に惑わされるつもりは無いし。
関われば関わるほどオソロシイ人だという認識は、深まるばかりか地球の反対まで突きぬけそうなのに。
ほんと、そんなトンデモ連想が出来てしまう自分の、慣れってどうなのさ。
連想っていえば。
そうっと、綱吉はベッドの上の雲雀をうかがう…目が合った。
刃が滑る。
「わわわ」
「下手だね」
「すみません…」
懸命に、トマトに目を固定。
でも連想のことは頭をはなれなかった。
昨日のCMとか、リボーンの台詞とか。
そうやって、何かにつけオレの頭に浮かんでくるヒバリさん。
「――どうぞ」
病室に不似合いなカラフルな小皿――院長が持ってきたコイマリソメツケがどうとか云ってた――に、ようよう
剥き終わって一つのせる。
差し出した皿に、雲雀は礼を云うでもなく。
「食べて」
「…はい?」
なんじゃそりゃ。
せっかく剥いたのに。
「あ、毒見でスカ」
「誰がそんなこと云ったんだい。…甘くておいしいんだろ?」
「へ」
綱吉は皿とナイフを取り落としそうになった。
もしや。
これって今、風紀委員長に「どうぞ茶菓子でも」されている状態…っ?(剥いたのは彼だったが。)
フリーズする綱吉を一瞥し、雲雀が語った。
「スペインにトマト祭りというのがあってね」
「スペイン」
イタリアとニアミスな気がしてどぎまぎした綱吉は、
「年に一回一時間ばかり、トマトを投げ続け、ぶつけ続ける祭りだってさ」
「いっただっきます!!」
ぱむっと両手を合わせトマトに手を伸ばした。祭られたくなかったので。
どうせ皮むきで濡れている。手づかみで一切れ取ると口に放りこんだ。
「おいしい?」
雲雀が訊ねる。口いっぱい頬張っているため、こっくり頷きで返す。
ここでノーと云えるはずもないが、儀礼でもない。喉が渇いていたらしい。飲みこむと潤される感触があった。
たおやかにも見える手が伸びて、綱吉の手から皿を、間に挟んでいたナイフごと取りあげる。
食べるのかなどとぼんやり考えたコンマ数秒に、ぐいと引かれた感覚、衝撃、エトセトラ。
気づくと綱吉は、雲雀と病室の天井を見上げてひっくり返っていた。
「――な、な、な」
「…間抜けな顔…」
「いや驚いてる顔だと思いますよ!たぶん!」
悲鳴がてら抗議して、ベッドから身を起こそうと…出来なかった。
手首と胸倉つかみ上げてそこに引き倒した張本人が、上に乗っているからだ。
それだけじゃなく。
首筋に果物ナイフが当たっているのに気がついたからだ。
「うわひ!?」
「騒がしいんだけど」
「コレ除けてくれたら静かになるかも!」
「別の方法で黙らせることも出来るんだよ。永遠に」
「まだトマト祭りのがマシです!ぶつけていいから刃物はしまってーっ!」
「痛いのが好きなんだ?」
「大嫌いですよっ」
雲雀は微動だにせず、綱吉を眺めていた。
間抜けだと云ったのは本音だった。能天気なことなかれ主義で生きてきたのが現れている、鋭さの無い顔。
けれど、黒曜の連中と揉め事が起きるまえとは何か違っていた。
昨日この部屋に現れた顔つきには、評するなら、憂いのような。
それまでは、無かった色。
おどおどしているくせに、綱吉が質問をぶつけてくる。
「……? あのー。なにかお腹立ちで?」
雲雀は軽く眉をあげた。本当に軽くで、他人は気づかない程度だが。
「おかしなことを云うね。何をさ」
雲雀さんはいつも何か怒ってるような気がしマスとは云えようもなく、心当たりを検索する。
「昨日から…怪我したことじゃ、ないみたいなんで…気のせいかと思ったけど…骸の話をされるのも
ヤだったかって」
「…厭かと思いながら蒸し返すのは、肝が据わってるの?」
綱吉がいっきに蒼くなる。
雲雀はゆっくり上体を倒し―――赤い実で濡れた唇の端を舐めとった。
「…ぃ………」
きっと、咬んで、殺される。
防衛本能に竦みあがって、綱吉は目を白黒させるばかりだった。
「君は、」
Tシャツの裾から雲雀の手が這いあがる。
「まるで自分のものみたいにあいつの話をする」
「ヒバリ…さん?」
言葉の内容より、肌に直に触れる手を意識して名前をよんだ綱吉の。
唇そのものをちらりと舐めて、深く重ねた。
歯列を割って潜った舌先が滑らかに動き、竦む舌を吸い上げる。
「ふ…」
じん、と痺れが唇から、首筋、つま先へと走って綱吉は震えた。
…キスだ。
こんなの。
いきなり、何で。
「離、し…」
混乱しながら押しのけようと手をあげ、ナイフを思い出す。雲雀が云った。
「暴れると」
「き、切り裂きマスか!?」
「僕の傷が痛むかも」
綱吉が口をぱくぱくと開け閉めし、唸った。
「ずるい…!」
雲雀は喉の奥で笑う。
「そんなふうに甘いから、付けこまれる」
「つ、つけ?」
「それだけの話だね?」
「え……?」
こころもち綻んだ唇が降りてくる。反射的に綱吉は目を閉じた。
さっきより軽く。柔らかく。
唇に、目蓋に、頬に、首筋に、落とされる口付け。
(首…?)
凶器が無い。いつの間に。
おそるおそる目を開けて目を動かす。
雲雀の片手は綱吉の手首をやんわりと押さえ、もう片手はシャツの下、わき腹を辿り肋骨を数え、今まさに胸元で
わずかな尖りを――
「ぁ…っ」
爪でなぞられ勝手に洩れた声に、我に返って綱吉はもがいた。
ベッドから飛び出そうとする腕が、つかまる。
「け、怪我人なのに…」
そんなに動いたら。
雲雀相手になけなしの反論をする綱吉は、案の定一蹴される。
「誰が。明日退院するよ」
「えっ…でも」
骨折がそんなに早く治るはずが。
「薬も病室も飽き飽きなんだ」
彼らしい理由を宣言し、雲雀はぱっと腕を放してみせた。
「ぴぎゃ!」
ランボみたいな声をあげて綱吉は落っこちた。じつは万全じゃない筋肉痛にはひどい仕打ちだ。
いたたと打ったところを押さえ、尻餅のまま見上げる相手はすでに端然とした様子で。
「だから」
艶のある笑みで、雲雀は綱吉に告げる。
「明日、うちまでの荷物持ち。手伝いにおいで」
「……………」
イエスともノーとも云えず。
しゃがみこんだまま、綱吉は雲雀を見つめていた―――。
>前編
この続きで『大嵐』『嵐+大嵐 合併再録』と出させて頂きました。
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