嵐〜テンペスト〜
真白いシーツ。黒のパジャマ。
いつかも見たコントラストは不思議と目に眩しい。
白黒にまばゆい人が、端的に尋ねた。
「何それ」
「ト、トマトです」
正面に立って眼をそらしつつ。
綱吉は、捧げ持つようにした紙袋を差しだす…もちろん頭は垂れて。
「もぎたて直送で新鮮だそうで、あの…貢ぎも…もとい、お見舞い、です…」
雲雀の、入院中の患者がもつには強すぎる眼光がそんな彼を見ている。
悪の本拠地、黒曜ヘルシーランドから奇跡の生還。
語感は冗談みたいだ。
内容はシリアスこのうえなかった。
あそこで、綱吉たちは骸一派と対決した。
過酷な一日だった。
直接見ることはなかったが、人や物の背後にちらついた命と死の陰は、綱吉を心底怯えさせた。
最も心臓を冷たくしたのは、それが自分以外、友人知人に降りかかったことだ。
非常識に強い非常識な赤ん坊に非常識な扱いを受けるうち、綱吉は危険に鈍化していたらしい。
しごかれる日々は、かなり痛い目に合ってもまあこんなもんだろと哀愁につかって終わっていた。
自分の危険が知り合いの危険になって、さらに悪い結果にも至る可能性なんて。知りたくもなかった。
「そんなに食べろって云うのかい」
つれない指摘は無理もなく、紙袋いっぱいのトマトが足元にもう二つあったりする。
「い、いえ!もちろん、ヒバリさんがいらない分はふ、風紀委員のみなさんで分けて頂けたらというつもりでして」
「『お裾分け』を、僕が?」
「…しませんよねえ」
そんな、まるでご近所付き合いの一環みたいなこと。
本当は、直接病室まで来る気はなかった。
看護婦さんにでも言付けて、渡してもらうつもりだったのだ。
雲雀に、了平に、風紀委の人たちに、他の並盛生に。
だから面会時間も外してきたのに、入り口でキョロキョロしていたら医師たちに囲まれた。
「な!なんですかアナタたち!?」
指示を出していたのは院長だった。
「ささ、早くヒバリ君のところへお連れして!」
「雲雀って…」
ぎょっとした綱吉は全力で逃げようとしたのだが、
「君が来ると被害が減るのだ!ご機嫌が上向く! 何なら入院していきたまえ料金まけるよ!」
「生け贄増やして避雷針てコトーっ!? なのに金取るって、うぉい!」
力ずくでお連れされて、一人この部屋に押しこまれたわけだ。
「あの、じゃあ多いぶんはオレ今から配って来ましょうか…」
申し出た綱吉に、雲雀が顎で指図した。ぴしりと。
「そこ置いて」
「はいっ」
「椅子持ってきて」
「はいっ」
「そこ座って」
「は…いぇぇぇ!?」
「異議があるの」
「いいぇえ、いえい、ノリノリです!」
「早く」
「はいっ」
荷物を置いて腰掛ける。雲雀が紙袋の中身をひとつ摘みあげた。
「何でトマトなんだか。ふつう果物じゃない?」
「それは…」
マフィアのボスから、一年分届いたからです。
六道骸を倒したら贈るって言われてて。
あの人オレのこと探しにここまで来たんですって、並中生が襲われてたのもそのせいなんだみんなオレのとばっちりで怪我したんですよー。
――明かせるくらいなら、面会時間を外さない。
雲雀の場合は自分から乗りこんだわけだが、襲撃がなければやらなかったわけで、やっぱり発端は綱吉にあると云える。
「…家にたくさんあって…」
もぞもぞと真実のはしっこを語り、綱吉は聞くべきことを訊いた。
「あの。ヒバリさん怪我はまだ……治るのどれくらい掛かっちゃうんですか」
「訊いてどうするんだい」
問い返されて詰まってしまう。
「それはその…」
「また『それは』?」
揶揄するように雲雀が云った。
黒目がちな瞳が凝っと見つめてくる。疚しい部分がぼこぼこ泡だって、綱吉はヤケ混じりに声を上げた。
「気になるじゃないですか! 骨何本も折ったって、骸が云ってたんだから。い、痛い、だろって…」
歯をくいしばるように言葉をきった。
オレなんかに心配されるの屈辱なのかもしんないけど、こっちにだって事情があるんだ。
ズルくって黙ってるから仕方ないけどそんな意地悪な言いかたすることないじゃないか心配してるのに、って?
「…しんぱい…?」
茫然自失である。
いつからそんな。
雲雀恭弥をその、おこがましくあつかましく恐ろしくもソレするようになっちゃってるんだオレ。
弱者な綱吉は総毛立ち、おそるおそる雲雀をうかがった。
見たのを後悔した。
雲雀は無表情だった。
でも凄く怖かった。
形良い薄めの唇が開きかけたので、首を縮める。
『心配』を声にもしてしまった。最悪だ。口がすべったのだと云いたいが云って勘弁してくれる人ではないだろう。
だが、咬みころすと宣言するかわり、噛みしめるように。
雲雀はこう云った。不満そうだった。
「むくろ、ね」
「…? あ、ハイ」
名前までは知らなかったのかもと、綱吉は言いなおした。心配発言が流れるなら幸いだ。
「六道骸が」
墓穴でした。
また後悔した。
冷気が漂ってきた。というか吹き荒れる雪の幻影を見た。
――名前を耳にするのも厭だったのか…!?
「アイツ、君の何」
「そ」
それは、をかろうじて封印する。
綱吉が下を向いてしまうと、風紀委員長は熱の無い声で、
「にしても、風紀委全滅とはね。草壁まで。学習が足りないみたいだ」
弱肉強食理論の。
「日ごろから危機感を持つように、もっと鍛えなくちゃ」
群れを率いているつもりは無いが、目の届くところで活動する連中が弱々しいのは苛つく。
なんて雲雀道に、未来の委員たちにさす影を感じ綱吉は十字をきった。心の中で。
そして。
「すみません!」
いっそう頭を下げる。ダメだ。重圧に耐えられない。
「骸の狙い、最初からオレだったんです!オレのこと、あぶり出すつもりで、あの人…そ、そのせいで皆ケガ、して。ヒバリさん…も――」
言葉は続かず。
自分の声が途切れておとずれた静けさを、死刑執行直前の気持ちで待った、のだが。
「―――ああ」
と雲雀。
「赤ん坊が云ってたかな。そんなこと」
「って知ってるし!」
一大決心をちゃぶ台返しされて、綱吉は思わずツッコんだ。
「リボーン先に来てたんですかっ?」
「すぐに来たよ」
言外におまえはどうして遅かったのかと聞こえる気がして、あわてて釈明する。
「あの、オレは何日か、筋肉痛で動けなかったから」
「筋肉痛?」
雲雀は睫毛を瞬いた。
「て、普段ろくに運動しないような怠け者がなる生活習慣病の、あれ?」
このヒト筋肉痛になったこと無いらしい…。
「…そういう一面もありますかねー…」
まあリボーンにも鍛えかたが足りないとさんざん皮肉られたから、それで良いけど。釈然とせず遠い目をすると、
「判らないな」
ふっと、雲雀がかるく息を吐いた。
「何なんだろうね、君は」
それは奇しくも、綱吉に遭った骸と同じ台詞だったが、それを知る者はここに居ない。
「僕が寝た後まだひと悶着あったの、片づけたのは君なんだろ。なのに筋肉痛?」
「は、ハイ……」
としか、答えようが。
特殊弾の説明をするなら、やっぱりマフィアから初めなければならないし。御免だ。
判らない、ともういちど雲雀は云った。
「拗ねてるかと思えば青くなって申し訳ながるし…」
「拗ね、る?」
綱吉はきょとんとなった。
「オレが?」
「他に誰か?」
「えぇ?」
判らないのはどっちだか、と困惑する。
「――雲雀さん相手に?」
「僕を相手にそんな態度取るの、君くらいだよ」
「取っってませんっっっ。言いがかりですぅっ!」
不穏な流れに全力で否定する綱吉だが。
雲雀相手に言いがかりなんて言い回しをつかう人間も、滅多に存在しないのは想定外だった。
したならば葬られてきたことも。
「誰かにやられる僕が、気に入らないって顔してた」
「してませんってぇぇ…だ、誰かにやられる雲雀さんが想像できないのはたしかですけど」
「ほら」
「ぜんぜん違うじゃないですか!」
猫を前に壁を背にしたねずみの心地で、必死な綱吉。
「だいたいヒバリさん、骸倒してたでしょ!やられてなかったでしょ!?」
死にものぐるいもすっかり板についた。うれしくない。
しばしそんな彼を眺めて、雲雀はふいっと視線をとく。
「まあいいけど」
追求がやんで、ほっと綱吉が胸を撫でおろす。
「そう云えば理由は聞いてない。どうして君を狙ったって? …体?」
「な、何でそんなことまで…!」
リボーンどこまで説明しちゃってんだ!焦る綱吉に、意を得てうなずく風紀委員長。
「やっぱり。あの顔はそんな性癖だろうと思ったよ」
…ちなみに、わりと始めのほうから決定的に行き違っているのだが、それこそリボーンでも居合わせなければまず通じることはないだろう。(骸本人なら喜んでさらに掻きまわしそうだ。)
顔つきと能力って関係あるんかな、と訝かしみつつ綱吉は付け足した。
どうして自分の体が狙われるのか、核心の質問を避けるために…(体目当て、にさらなる質問が来ると思うあたりが、いかにも行き違い)。
「体はともかく…つまりは、あー…リボーンが…オレに付いてるんで…」
嘘は、ついてない。
ボンゴレの次のボス候補でなければリボーンは来なかったんだし。
とはいえ、冷や汗がつたうのは不可抗力である。
雲雀はかるく首をかしげたが、
「何にせよ、僕は僕の縄張りでイタズラする奴等を放っとかないけどね」
「は……」
綱吉は覚えず雲雀を見つめた。
関係ない、と。
怪我はおまえの責任じゃないと、言われたみたいな。
…まさかね。
「それに」
雲雀は窓の外を見ていた。
向けているだけで、じっさいは映っていないものを見る目だった。
こっち向かないかな、と思う。
言葉の意味が、もっと正しく解るかもしれないのに。
「――たまには、刺激になって良い」
「え…」
「委員内のアラも見えた事だし。―――毎日退屈ではね。腐り落ちてしまう」
「…………」
また物騒なこと云ってる。そう慄いて身を退くのが当然だった。
けど―――誇張の無い真実なのが、見えてしまって。
高いところに棲むひとに地上の空気は重すぎて、淀んだ大気がまとわりついてからんで巻きついて羽根が、撓む。
その諦観。その倦怠。 …なら。
ふわりと突如、視界を覆うような。
思考とも呼べない思いつきが「じゃあ
するりと唇を衝いて「もしも俺が、
綱吉に向けられる黒目がちな晴眼。「お…」
お役に立てるとしたら。
ヒバリさん、俺と、
?
綱吉の脳裏にどこかで聞いたメロディが流れる。テーマソング、何かCMの。
意識しないで、ぐんぐんのびる。
欲が出るから、
赤ん坊がわらう。
「うわあぃひぇぇぃぁっ!?」
綱吉は、奇声を上げて椅子ごと引っくりかえった。
呆れたような声が降ってきた。
「……発作?」
「なななんでもっ」
無い。
綱吉はマフィアになんかならないし、雲雀に刺激を提供できる人生なんか歩まない。
平凡に進学して就職して京子ちゃんなんてとてもとても、でもできたら結婚して?甲斐性なしの自覚はあるから見合いかもってそれも危うい?放っとけ!
つまり裏社会には、無縁のはずだ。
ボスもイタリアも欲も過激も。
無いと云ったら無い!んだから。
ヒバリさんとも、関わら、ない……。
「あ…の。帰り…ます…失礼しました…」
よろよろと立ち上がった綱吉を、雲雀はべつに止めなかった。
でも。
「またおいで」
戸口に立つ背に、声が掛かる。
一方的な、立ち向かえない、触らぬ神の声。
「は……」
綱吉は曖昧にもごもごと返事をした。イエスともノーとも取れるよう。
きっとまた来るだろうと、知っていたけれど。
なんて。
「明日ね」
「明日っすか!」
事態は予測をこえ急速だった。
「暇なんだ」
彼以外が云っても決して成立しない理由を、雲雀が告げる。
「それに、君がぐずぐずしてたら、退院しちゃうじゃない」
ヒバリ発令のもと、綱吉は無力である。
「ふぁい…」
…やっぱり、遅かったの根にもたれてるんじゃないだろうか。
絶望と共に思った。
>後編
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